2021年1月10日  マタイ福音書2章13-15節 「旅立ち」

 テキストはヨセフが幼子イエスと母親マリアを連れて、エジプトへ逃がれるところです。13節に「占星術の学者たちが帰っていくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』。ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」とあります。この「逃げ、去り」は「出立つ、旅立ち」という意味で、イエスの旅立ちの物語です。
聖書の中には幾つかの「旅立ちの物語」があります。アブラハムが父親とハランに住んでいたときに、「あなたは生まれた故郷、父の家を捨てて、わたしの示す地に行きなさい」という神の言葉に促されて、旅立ちました。ヨセフ物語には、ヨセフが兄弟達に憎まれ、エジプトのポテパルの奴隷に売られていく、悲しい旅立ちがあります。「出エジプト」も「イスラエルの民の旅立ち」です。イスラエルの民はエジプト人の奴隷にされ、重い苦役に耐え切れず、呻き声をあげました。神はその呻き声を聞き、憐れに思い、約束の地カナンへ旅立させました。今日のテキストは、ヨセフがマリアとイエスを連れてのエジプトへ旅立つ物語です。
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに旅立ち、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」とあります。ヘロデ王は、イスラエル人の仇敵であるエドム人で、ローマの元老員に多額な賄賂を贈って「ユダヤ人の王位」を奪い取りました。猜疑心の強いヘロデは次々と対抗者を殺害しました。ヨセフは、ヘロデがイエスを殺そうとしているから、エジプトへ旅立てと天使から告げられ、ヨセフはマリアとイエスを連れてエジプトへ旅立ちました。イエスの旅立ちの物語です。
15節に「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった」とあります。イエスの旅立ちは主の言葉が実現するためであるというのです。この「実現する」は「成就する、神の御旨が成る」という意味です。つまり、イエスの旅立ちは神の深い御旨であるというのです。「旅立ち」はギリシャ語で「ダーヴァール」と言い、「神の言葉、出来事」という意味です。ヴィクトール・フランクルが「人生の全ての出来事に意味がある」と言うように、「人生に起こる全ての出来事」には「神の御旨、意味」があるというのです。
ローマの信徒への手紙10章17節に「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」とあります。この「聞く」は「尋ねる、問う」という意味です。パウロは、出来事の中に神の御旨があるから、その御旨を問い尋ね、見出し、信じて、受け入れていくことが信仰であるといいます。イエスのエジプトへの旅立ちという出来事の中に、「わが子をエジプトから呼び出す」、つまり、出エジプトという神の御旨であるというのです。
「主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」の「実現」は、「やり直す」という意味です。つまり、イエスの旅立ちはやり直しのための旅立ちであるというのです。何のやり直しか?それは、第一の旅立ち、出エジプトです。神はイスラエルの民を我が子とするために、エジプトから呼び出し、旅立たせ、40年間の荒れ野の旅の中で、愛し、育みました。しかし、イスラエルの民はエジプト脱出後、カナンに定住し、王国を建設し、神に背き捨て、背教者となりました。イスラエルは過去の罪と背きをやり直し、許されなければなりませんでした。つまり、イエスの旅立ちは「やり直し」と「許し」のための旅立ち、つまり、第二の出エジプトであり、罪を許すための、神の憐れみの旅立ちであるというのです。
渡辺和子さんは、「これまで生きてきた過去、失敗、悔いが許され、肯定されなければ、新しい旅立ちは出来ない」と言われます。ダグ・ハマーショルドは、「道しるべ」の中で「過ぎ去ったものにはーThanksありがとう。来たろうとするものにはーYes・ハイ」と記しています。新しい歩みをするためには、過ぎ去ったものには感謝、来たらんとするものにYes・ハイがなければならないと言います。ルカ福音書の放蕩息子も、旅立ちをしています。彼の旅立ちは、父親の赦しの結果です。父親は、彼の過去を咎めないで赦しました。中風の男はイエスから「あなたの罪は赦された」と言われると、立ち上がり歩き出したといいます。赦しが彼を生まれ変わらせ、新しい命を与え、旅立ちを促しています。
マルコ福音書10章45節に「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」とあります。「身代金」とは「贖い、罪の赦し」を意味します。イエスはわたしたちの罪の赦しのために来られ、命を献げられた。イエスは、私たちが神の子となるために、エジプトへ旅立たれたというのです。
コリントの信徒への手紙Ⅱ4章7節に「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために、わたしたちは四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」とあります。どのような困難や試練に出会っても、それらに耐え、打ち克つことの出来る、並外れて偉大な力を与えられています。その事実を信じ、受け入れ、出立したいと思います。