2020年7月26日 マタイ福音書5章5節 「柔和な人の幸い」

 与えられているテキストはマタイ福音書5章5節の「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」という言葉です。「柔和な人々は幸いである」の「柔和」は、日本語では、「柔・やわらかい」と「和・やわらぐ、なごむ」という意味で、「やさしい、おだやか、大人しい」という意味です。ギリシャ語では「肩肘張らない、力ずくで生きない」という意味です。ユダヤは大国のアッシリア、バビロニア、ローマ、エジプトに挟まれ、北から南からの侵略に脅かされ、滅ぼされました。人々は敵国を憎み、力ずくで相手を打ち倒したと願っていました。主イエスは、そのような争いと対立の中で「柔和な人々は幸いである」と語りました。
 この「柔和」は、ギリシャ語で「プラウス」と言い、新約聖書では三箇所で用いられています。マタイ福音書11章28節の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で(プラウス)謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」も一つは21章5節の「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。」に、そして、この5節「柔和な人々は幸いである」の三箇所です。三箇所とも、主イエスの語った言葉であり、イエスの人格を表す言葉です。ちなみに、プラウス以外の「柔和」を現す言葉は、憤りや憎しみに打ち勝ち、精進して得る柔和を意味し、倫理道徳の徳目の一つです。しかし、「プラウス」は精進や訓練によって得る柔和ではありません。主イエスに結びつき重ねることによって生まれる柔和です。主イエスは、重荷を負い、苦労している者に、「わたしの元に来なさい。休ませてあげよう」と呼びかけ、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言い、病人、弱い者、無力な者を招きました。その優しい主イエスの招きに応え、繋がり、委ねる。それがプラウスの柔和です。
 詩編37編に「主に自らを委ねよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主に任せよ。信頼せよ」とあります。肩肘張って、力ずくではなく、主イエスを信頼し、委ね、任せて生きる。それが柔和です。そのように生きる人々は幸いであると言うのです。
「その人たちは地を受け継ぐ。」の「受け継ぐ」は「支配する」という意味があります。創世記1章27節に「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」とあります。この「支配せよ」は本来「委ねよ」と言う意味です。つまり、支配するのではなく、創造主である神に委ねよというのです。別の言葉で言い換えれば、「使命が与えられる」となります。主イエスは、創造主なる神の使命を自覚し、本来の人間に立ち帰ることを求めています。「柔和な人々は幸いである。」この「幸い」は「happy」ではなく、「Blessed」で、神の祝福が注がれことを意味します。言い換えれば、神の使命を自覚し、使命に立ち返る人は幸いであるというのです。
 マタイ福音書4章4節に「イエスはお答えになった。『人はパンだけで生きるのではない。神の口からでる一つ一つ言葉で生きる。』と書いてある」とあります。神の使命は人間にとってなくてはならないもの、人間を人間として生かす命の根源であるというのです。先週も申し上げましたが、ビクター・フランクルは「人生はわたしに何を与えてくれるか?と人生に期待することからは、究極的な生きる力は生まれてこない。逆に、人生は、わたしに何を期待するか?を問い、それに応えていくことが究極的な力になる」と言っています。本質的なことは神がわたしに何を期待しているかに思いを馳せることです。別の言葉で言い替えれば、自分は必要とされているという信仰、使命感が与えられることです。その信仰を持っている人は、どのような苦難に出遭っても、意味を見出し、それらに耐えることが出来ると言います。つまり、「地を受け継ぐ」は、神の使命を与えられ、神に必要とされていることを信じて生きることを意味します。
詩編37編7節に「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や、悪巧みする者のことでいら立つな。怒りを解き、憤りを捨てよ。神の祝福を受けた人は地を継ぐ。」とあります。主イエスに繋がり、主イエスに自分を重ねることによって、憤りから解き放たれ、憤りを捨てよと言います。より本質的なことは十字架の苦しみの中で柔和であり続けた主イエスに結びつき繋がることです。主イエスにおいて柔和の種は蒔かれ、始まっています。そして、柔和の種を撒かれた主イエスは再び来られます。その時、地は柔和で満ち溢れます。主イエスの勝利を信じ、その時を待ち望みたいと思います。
 主イエスは、迫害と苦難の激動の時代に柔和に生きる者の幸いを語っています。人々は柔和な道を選んだために、苦しみ、辛い思いを経験しました。しかし、主イエスは「柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」と呼びかけ、神の言葉に聴き従っていくことを示されました。ローマの信徒への手紙8章37節に「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしたちは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」とあります。今の難しい時代の中で、主イエスの柔和が地に満ち溢れることを信じて、イエスの言葉を信じ、聴き従い、委ねていきたいと思います。