与えられたテキストは創世記のヨセフ物語です。ヨセフは父ヤコブから寵愛され、兄たちを差置いて相続の特権を与えられました。それを知った兄たちはヨセフを憎み、殺そうとしました。しかし、ルベンの「殺すのは止めよう」という言葉で、命は助けられ、ユダの進言で、イシュマエル人の隊商に売られ、エジプトに連れて行かれ、ファラオの宮廷の役人で侍従長のポティファルに奴隷として買われました。ヨセフの波乱万丈の人生が始まりました。
ヨセフは父ヤコブも母ラケルも年老いてからの子どもでしたから、いつも裾の長い着物を着せられ、世の荒波にもまれることもなく、温室のような環境の中で育ちました。それが、ある日、恐ろしい事件に巻き込まれました。事件の起きたのは「ドタン」と言う町です。「ドタン」は「深い井戸、暗闇」と言う意味で、ヨセフの人生を象徴しています。しかし、詩編37編23節に「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」とあります。闇の中に置かれたヨセフに一条の光が注がれていたと言うのが、今日のメッセージです。
2節に「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ」。そして、3節に「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計られたのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた」とあります。ヨセフは奴隷です。その奴隷のヨセフがエジプトのファラオの侍従長の財産と会計の一切の管理を任されたというのです。有り得ないことです。しかし、その有り得ないことが起こったというのです。2節「主がヨセフと共におられた」、3節にも「主がヨセフと共におられ」とあります。つまり、主が共におられるという信仰がヨセフを守り救いに導いたというのです。
7節に「これらの事の後で」とあります。さまざまな危機と苦難を乗り越え、全財産の管理を任せられるようになった。「それらの事の後」です。新たな試練と苦難がヨセフに襲いかかりました。レンブラントに「ポティファルの妻」という絵画ありますが、ヨセフは冤罪で、主人のポティファルの妻に訴えられ、捕らえられ、獄につなげられました。奴隷ですから、自分ではどうすることもできません。運命だと諦め、絶望するしか、術がありませんでした。21節に「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、看守長の目にかなうように導かれた」、23節には「主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることをうまく計らわせたからである」とあります。不条理に苦しむヨセフを支えたのは、「主がヨセフと共にいる」という信仰であるいうのです。
出エジプト記3章11節に、「モーセは神に言った。『わたしがどうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導きださなければならないのですか』。神は言われた。『わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える』」とあります。ヨシュア記1章9節には「うろたえてはならない。おののいてはのらない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主はあなたと共にいる」。出エジプト記3章14節には、虐げられたイスラエルの人々をエジプトから連れ出すように告げられたモーセが、神の名を問う場面があります。神は「私はいる、という者である」とモーセに答えています。「私はいる」。神はあなたと共にいる。あなたが何処に行こうと、何処に置かれようとあなたと共にいるという信仰こそ命であるというのです。
加藤常昭先生は「ヨセフ物語は、わたしたちの人生を究極的な支えは何かという問題を取り扱っている」と言われます。ヨセフは兄たちから憎まれ、殺されそうになりましたが、助けられ、エジプトの王の侍従長に売られました。その侍従長の妻に濡れ衣を着せられ、捕らえられ、獄につながれました。12節に「ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外に出た」とあります。「残す」は「捨てて」という意味です。ヨセフはすべてを捨てました。正に極限状況の中に置かれました。その危機と困窮のヨセフを支えたのは、神はあなたが何処に行こうと、何処に置かれようと共におられるという信仰であるというのです。
わたしの知人にヨブのように苦難の人生を歩んだ方がいます。彼は苦境の中で神の恵みと救いを語り、多く人を導きました。「信仰は、どのような境遇であっても神の恵みに信頼する、順調の時も、逆境の時も、神が共におられることを信じて従っていくことである」と言っています。パウロは、「神が共にいてくださる信仰」を、「神はわたしたちの味方である」と言い換えています。ローマの信徒への手紙8章37節に「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。だれが、キリストの愛からわしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。しかし。これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちを主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離す事はできないのです」とあります。主が与える信仰の勝利を讃えています。詩篇118編6節には「主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。主はわたしの味方、助けとなって、わたしを憎む者らを支配させてくださる。人間を頼らず、主を避けどころとしよう。君侯に頼らず、主を避けどころとしよう」とあります。イエスの輝く勝利の言葉を信じ受け入れ、主を見上げて歩んでいきたいと思います。