2020年6月7日 ルカ福音書7章36-50節 「あなたの信仰があなたを救った」

 一人の女性がイエスに香油を注ぐ有名な物語で、四つの福音書にあります。行われた時ですが、マタイとマルコでは、最後の晩餐の前日です。ヨハネ福音書ではイエスのエルサレムに入城される前日です。この3福音書はイエスの埋葬の準備、また、イエスを贖いの救い主と告白する物語に編集しています。それに対して、ルカ福音書は十字架とは直接関係のない、イエスの活動の初期の出来事として編集しています。そこにルカ福音書の信仰と意図があると思います。
 40節に「そこでイエスが、その人に向かって『シモン、あなたに言いたいことがある』と言われると、シモンは、『先生、おっしゃてください』と言った」とあります。この「向かって」は「質問に答える、分かるように話す」という意味で、論争することを意味します。つまりイエスとファリサイ派の人々との間で、「罪の赦し」をめぐって論争が始まり、次第にイエスの信仰が明らかになっていったというのです。
49節に「同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は一体何者だろう』と考え始めた」とあります。「考え始めた」は「批判をし始めた、憤りを持ち始めた」という意味です。マルコ福音書14章4節に「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに』」とあります。ファリサイ派の人々は叱責の言葉を彼女に浴びせています。しかし、ルカ福音書は叱責の言葉を、罪を赦すイエスに向けています。ファリサイ派の人々は女の罪は赦されない、もし赦されるなら、混沌と無秩序な世界になってしまう。これまで義を求めてきたわたしたちの人生はなんだったのかという憤りをイエスに向けているというのです。
 ルカ福音書は、他の福音書と異なって、41節以下に一つのたとえ話を編集しています。「ある金貸しから、二人の人が金を借りた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。シモンは、『帳消しにしてもらった額の多い方だと思います』と答えた。イエスは、その『とおりだ』と言われた」とあります。このたとえ話の結びの47節に「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されたことの少ない者は、愛することも少ない」とあります。つまり、「赦されたから、愛することができた」と言うのです。この言葉にルカ福音書の信仰があります。つまり、神の赦しが愛に先立つというのです。ファリサイ派の人はこのイエスの言葉を受け入れることはできませんでした。彼らは「多く愛したから、赦された」という考えです。多くの愛、善行が優先します。愛さなければ、赦されない、赦されるために愛するという律法主義、道徳主義です。
 口語訳のルカ福音書7章47節は「それであなたがたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。すこしだけ赦された者は、少しだけしか愛さない」となっています。しかし、新共同訳は「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」とあります。つまり、「多く赦されたから、多く愛する」といいます。ルカ福音書は、「神に赦されることがより本質的なことであり、神に赦されることが愛に先立っている」と言います。言い換えれば、多く愛したから、赦されるのではなく、神に赦されたから、愛することができるというのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ15章9節に「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さい者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです」とあります。今日在るは、一方的な神の恵みと赦しであるというのです。イエスの十字架と神の赦しと恵みがすべてのことに先立つと言うのです。
 48節に「イエスは女に『あなたの罪は赦された』と言えわれた。同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう』と考え始めた」とあります。この「あなたの罪は赦された」の「罪」はギリシャ語で「ハマルテイア」と言って、「神から離れる」ことを意味します。「赦す」は「再結合」という意味で、離れていた者が再び神と繋がる、神と繋がる、結びつく。それが「赦し」です。その「神の赦し」がわたしたちの存在の根源であるというのです。
 50節に、「イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた」とあります。ルカ福音書はあなたの愛が、正しい行い、善行があなたを救ったとは言いません。あなたの信仰があなたを救ったと言います。この「信仰」はギリシャ語で、「ピスティス」と言い、「信頼、誠実、一心」を意味します。あなたの信頼、神を思う誠実、一心があなたを救ったと言います。わたしたちの働きや功績ではなく、わたしたちの心、誠実さ、一途さが救いの根源であると言います。
 「あなたを救った」の「救う」は「新しい部屋をあなたの心の中に造る」という意味です。つまり、「神を思うあなたの誠実さ、一途さが新しい部屋を造る」となります。言い換えれば、新しい生き方が与えられるというのです。「安心して行きなさい」の「安心」は「元気,勇気」、「行く」は「前進する、前を向いて進む」を意味します。神に罪赦されたのだから、勇気をもって前に向かって進むことができるのです。この厳しい時代の中を神から与えられたミッションを携えて前に進んで行きたいと思います。