2020年5月10日 エレミヤ書4章1-4節 「新田を耕せ」

 エレミヤが預言者に召されたのはBC627年頃です。その5年後、ヨシヤ王の宗教改革が起こりますが、ヨシヤ王の戦死で(メギドの戦いで、エジプトのファラオ・ネコに撃たれる)挫折します。ヨシヤ王の後、即位したヨヤキン王はバビロンに反抗したために、エルサレムは包囲され、陥落します。1回目の捕囚が起こり、ヨヤキン王や指導者はバビロンに連行されます(597年)。その後、即位したゼデキヤ王もバビロンに反旗を翻したために、滅ぼされます。ゼデキヤは両眼をつぶされ、足かせをはめられバビロンに連行されました。第二回目のバビロン捕囚で、イスラエルとダビデ王朝は倒壊しました(586年)。エレミヤは戦争、敗戦、滅亡、捕囚とイスラエルの激動の時代に預言者として活動しました。
1節に「『立ち帰れ、イスラエルよ。』と。主は言われる。『わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない』。「もし、あなたが真実と公平と正義をもって、『主は生きておられる』と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする」とあります。「立ち帰れ」は「シューブ・方向転換、改心、悔い改め」という意味です。「わたし」は「ヤーウェの神」のことで、つまり「方向転換して、ヤーウェの神に向き合いなさい」と言い、イスラエルに「方向転換」を迫っています。しかし、ヨヤキン王やゼデキヤ王は、エレミヤの言葉は弱々しく国を売ると激しく非難と攻撃し、「武器を備えよ、兵士を集めよ、大国と同盟を結べ」と命じました。しかし、エレミヤは一貫して、「悔い改めよ、心を神の方に向けよ、真実と公平と正義をもって、主は生きておられると誓え」と語りました。
 3節に「まことに、主はユダの人、エルサレムの人に、向かって、こう言われる。『あなたたちの耕作地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな』」とあります。「耕作地」は、口語訳では「新田」と訳されています。「雑草が生えた、茨の覆う荒地」を意味します。「開拓する」は「心を深く耕す」という意味です。エレミヤはエルサレムから5、6キロ離れている寒村のベニヤミンの地のアナトトの出身です。幼い時から、農夫が茨と雑草の覆う荒地を鍬で深く耕すのを見て、荒地の開拓が如何に困難であるか、辛抱強さ、心を深く耕す忍耐が必要であるかを知っていました。その「忍耐強さ、辛抱強さ」を「悔い改め」と重ねたのです。エレミヤは、国家の存亡の危機に直面したとき必要なのは、辛抱強さ、忍耐、気長、寛容であるというのです。「茨の中に種を蒔くな」と言いますが、言い換えれば、「面倒なことを厭うな、手軽な手立て、簡単な手段を選ぶな、単純な答えを求めない」という意味です。バアルの神を礼拝しない、拝物、拝金に陥らない、エジプトに援軍を求めない、大国の力を頼らない。それらは頼れば、滅びる。必要なことは、忍耐強く心を深く掘り起こすことです。そうすれば、見えない神の支え、神の支配があることに気づかされるというのです。
 4節に「ユダの人、エルサレムに住む人々よ、割礼を受けて主のものとなり、あなたたちの心の包皮を取り去れ。」とあります。「包皮を取り去る」とは「ムール・割礼」のことです。エレミヤは通過儀礼としての「身体の割礼」ではなく、「心の割礼」と言います。エゼキエル36章26節に「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前の体から石の心を取り除き(ムール・割礼)、肉の心を与える」とあります。「石の心」は「頑なな心」を意味します。頑なな心を取り除き、肉の心(新しい心)を与える。「取り除く」は「ムール・割礼、切り取る、改心、悔い改め」という意味です。エフェソの信徒への手紙4章22節「滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」とありあす。エレミヤは国家的危機を免れるには、古い人脱ぎ捨て、心の底から新しく生まれ変わらなければならないというのです。
 4節の「あなたたちの心の包皮を取り去れ。」を直訳すると、「あなたがた一人一人の心の包皮を取り去れ。」となります。「一人一人」を強調しています。「一人一人」の概念はエレミヤの新しさ、独自性です。それまでは国家の罪、民族の罪、国家の悔い改め、民族の悔い改めが問題でした。しかし、エレミヤは初めて、一人一人の罪、一人一人悔い改めを問題にしています。ヨシヤ王は宗教改革、つまりバアルの地方聖所の廃止、エルサレム神殿の改革、律法の厳格化を行いました。つまり、制度や律法の改革を行いました。しかし、エレミヤは勿論、制度や律法の改革も大事ですが、最も本質的なことは、一人一人の心の改革、一人一人の心の悔い改めである。心を深く耕すことがなければ、国も、人も救われない。一人一人が心の包皮を取り去る作業、心の悔い改め、古い自分に死んで、新しい人に変えられる作業を続けなければならないというのです。
 エレミヤは、ユダの滅亡、エルサレムの崩壊、バビロンの捕囚の危機的状況の迫る中で、「新地、新田を深く耕せ、心の包皮を取り去れ」と預言しました。改心・メタノイア・方向転換、180年度の心の転換です。言い換えれば、ヤーウェの神に立ち帰る、イスラエルの信仰の原点に帰るということです。この危機的状況を乗り越えるのは原点に立ち帰って、新しい出発をし直すことであります。真の神に立ち帰り、古い人脱ぎ捨て、新しい人を着る。そこに救いの道があるというのです。