テキストはフィリピの信徒への手紙4章10-14節です。11節に「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです」とあります。パウロは今獄に捕らえられ、極刑は免れない状況です。それなのに「自分の置かれている境遇に満足する(十分である)」と言うのです。12節に「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも、満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても、不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」とあります。どのような境遇に置かれても、人間としての尊厳を失わないと言い、パウロの信仰の神髄を伝えています。
列王記に登場するイスラエルの王たちは物質的に豊かな境遇に置かれると、高慢になり、罪を犯し、権力を振り回し、真のいのちを失う姿が記されています。マックス・ヴェーバーという社会学者は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で「資本主義が高度に発達し、物質的豊かさが世を覆う時が来る。すると、精神のない専門人と、心情のない享楽人が現れる」と述べています。物質的豊かさは人間から、精神と心情、心と命を奪い喪失させるというのです。聖書も、目に見える物の豊かさは人を傲慢にさせ、真の神を捨て、拝金拝物に陥らせると言います。しかし、パウロはどんなに栄え、繁栄しても高慢にならず、謙遜と自由を失いませんでした。逆に、貧しい境遇に置かれても、愛と心を失いませんでした。「貧しければ、鈍する」という諺のように、貧しくなったり、物が不足すると、ひがんだり卑屈になり、心は萎え、心弱くなります。しかし、パウロはどんなに貧しくても、心は満ち溢れ、感謝に溢れていると言うのです。正に、信仰の極致と真理を示しています。
11節に「わたしは、自分の置かれた境遇に満足していることを習い覚えたのです」とあります。「満足する」は、ギリシャ語で「アウタルケース」と言い、「アウトス・自己、自分」と「アルケオー・満足する」という二つの言葉で成っており、「平静な心、平静心」という意味です。意訳すると「わたしは,自分の置かれた境遇に平静心でいることを習い覚えたのです」となります。「アウタルケース・平静心」は、当時流行していたストア派哲学では頻繁に使われていた重要な徳目を表す言葉です。ストア派哲学の代表的な人物はセネカ(ローマの皇帝ネロの家庭教師で秘書官)です。ローマ帝国内の権力争い、政争、策略、謀反で、人間の絆は断ち切られ、皆バラバラに孤立されていました。その中でストア派哲学が求めたのは平静心、何事においても動じない平安、毅然とした心でした。パウロは「アウタルケース・平静心」を使い、キリストの「平静心」を明らかにしようとしたのです。ストア派は禁欲主義(アパテイア)と言われます。「ア・否定とパテイア・情念、貪欲」で、「人間的な情念や貪欲を否定して、平静心を会得する」という考えです。言い換えれば、自己を訓練し、修練し、修行して、その結果得る平静心です。自己節制、修行の哲学、自力宗教です。しかし、パウロは厳しい自己節制、自己修行を言わないで、自分が置かれている境遇に平静心でいることを習い覚えたと言います。「習い覚えた」は受動態で「キリストによって習い覚えさせられた」となります。自己修行とか、自己訓練ではなく、キリストによって与えられたというのです。
12節に「満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」とあります。「授かる」は受動態で、直訳すると、「主によって(エン クリオー)授けられている」となります。
13節に、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」とあります。「お陰」は、ギリシャ語で「エン」で、「よって、主において、主に繫がって、結びついて」という意味です、本質的なことは主につながる信仰、キリストを信じる信仰であるというのです。「秘訣を授かっている」の「秘訣」は、ギリシャ語で「メムエーマイ」と言い「力、主の力、いのち、息・ネシャマー、聖霊」を意味します。主の力、聖霊が授けられ、いつ如何なる場合にも平静心でいることができるというのです。
パウロ「自分には身に一つのトゲがある」と言っています。何か持病を持っていて、福音伝道に支障をもたらせたようです。主のご用のために生きると信じていたパウロですから、トゲを取り除かれるように何回も祈りました。その時、神から返ってきた言葉は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」です(コリントⅡ12:9)。「力」は「デュナミス」と言い「聖霊の力、栄光、誉れ」という意味です。「神の力、神の栄光」は、光が暗い場所で一層輝くように、人間的強さではなく、人間的弱さにおいて輝くと言うのです。パウロは、一つの飛躍ですが、このキリストの言葉を受け入れることができました。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」といいます。「わたしは、キリストによって、キリストにつながることによって、自分の置かれた境遇に平静心でいることを習い覚えたのです。キリストによって、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」と証言します。パウロは、神は私たちにとってマイナスなものを取り除き、プラスになるものを増し加えるという仕方で、私たちを助けることをしません。どのような境遇に置かれても、いかなる場合にも対処する秘訣を与えてくださると言います。その事実を信じて、希望と勇気をもって前進しましょう。