2020年1月26日 フィリピの信徒への手紙3章17-20節「キリストに倣う」

 与えられたテキストはフィリピの信徒への手紙3章17節以下です。17節に「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい」とあります。この「わたしに倣う者になりなさい」の「倣う」は、ギリシャ語で「ミメオマイ」と言い、語源は「ミヌー・命」で、「真の命に繋がる」という意味です。ヨハネ福音書15章4節に「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」とあります。聖書では真の命はキリストに繋がらなければ得られないという考えです。15世紀のオランダの修道僧トマス・ア・ケンピス著「キリストにならいて」は古典で、聖書の次ぐベストセラーと言われています。十字架の死において示されたキリストの神に対する敬虔と人間に対する愛に生きることを教えています。その意味では、「兄弟たち、わたしに倣う者になりなさい」は、「真の命であるキリストにつながる者になりなさい」と言い換えることができます。
 19節に「彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。」とあります。「腹」はギリシャ語で「コイリア」と言い、「人間の心の奥、欲望、エゴイズム」を意味します。つまり、彼らは、「腹・欲望」を「偶像」としているために、滅びるというのです。言い換えれば、神以外の、如何なるものも、つまり、人間も、金も物も、崇めたり、究極的に信頼したり、倣ったりすることはできないというのです。ローマの信徒への手紙3章10節に、「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。」とあります。人間はすべて神に造られた存在であり、被造物である。言い換えれば、罪を犯す存在だというのです。つまり、パウロも、造られた存在、罪深い存在ですから、わたしに倣う者になりなさい、わたしを模範にしなさいと言うことはできないと言うのです。     
 ヨハネ福音書は、バプテスマのヨハネを「見よ、罪を取り除く神の子羊だ」と、イエスを指し示す人物、つまり、イエスを指し示す存在として紹介しています。バプテスマのヨハネは全ての人間の象徴です。人間は、ヨハネも、ペトロも、パウロもキリストを指し示す存在であるというのです。その信仰は今日のテキストの根底にあります。つまり、わたし(パウロ)に倣う者になりなさいと言いますが、その内実は、キリストに倣う者になりなさい、キリストに繋がる者になりなさいというのです。
8節に「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべて失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストの内にいると認められるためです」とあります。「キリストの内にいる」の「内」はギリシャ語で「エン、結びついている、繋がっている」という意味です。キリストに繋がって、生かされている。言い換えると、キリストに繋がり生かされているわたしに倣う者になりなさいとなります。
 コリントの信徒への手紙Ⅱ4章8節に「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力があって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために、わたしたちは、四方から苦しめられても、行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない」とあります。キリストの並外れて偉大な力に生かされているわたしを倣う者になりなさいというのです。
 9節に、「わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられた義があります」とあります。自分の義、能力、才能によってではなく、神から与えられる義、恵み、神の肯定によって生きているというのです。創世記1章31節に、神が、人間を創造した後、「見よ、それは極めて良かった」と言ったとあります。「極めて良かった」は、ヘブル語で「トーブ」と言い、肯定、神の絶対的肯定を意味します。誰が何と批判しても、否定しても、キリストは肯定してくださる。言い換えると、キリストに絶対肯定されたわたしに倣う者になりなさいというのです。
 遠藤順子著「夫遠藤周作を語る」によりますと、遠藤周作の「沈黙」には、宣教師や司祭が迫害で棄教していく場面や、厳しい拷問の中で、天から踏み絵を踏みなさいという声が聞こえて来る場面があります。カトリック教会からは「困ったことを書いている」と厳しい批判を受けたそうです。遠藤周作が命を削って書いた作品ですから、厳しい評価と批判には、傷つき孤独と空虚に苦しまれたそうです。その時、遠藤周作を支えたのは、神の信仰、神の「よし」という肯定だそうです。パウロも究極的には、自分の才能や能力ではなく、信仰、神の肯定、神の一方的な恵み、肯定によって生かされたと言います。ローマの信徒への手紙12章2節に「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」とあります。パウロは世に繋がるのではなく、キリストに繋がり倣う者になりなさいというのです。パウロがわたしの倣ったキリストというように、神の勝利を信じて、キリストに繋がり倣い、キリストの後を歩んでいきたいと思います。