与えられたテキストはマルコ福音書1章12-13節の「誘惑を受ける」です。マルコ福音書は、マタイ、ルカ福音書と違って、イエスがサタンの誘惑を退け、勝利する詳細な姿を記していません。マタイとルカ福音書の「誘惑物語」は、イエスが40日間の断食後、空腹で倒れそうになっていると、サタンが現れ「これらの石をパンに変えたらどうか」と言うと、イエスは「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言って、サタンの誘惑を退けました。その後に、また、サタンがイエスを高い山の頂に連れて行き、世の栄華と繁栄とを見せ、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言います。すると、イエスは「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」と言って、サタンの誘惑を退けたといいます。しかし、マルコ福音書はそのような教訓的な教えを記していません。
12節に「それから、霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」とあります。この「荒れ野」はギリシャ語で「エレーモス」と言い、「捨てる」という意味で、「人から捨てられた場所、人の住んでいない孤独な場所」を意味します。また、「その間、野獣と一緒におられた」とありますように、恐怖と危機に満ちた場所」です。イエスが送り出されたところは、人から捨てられた、野獣の住む恐怖と危機に満ちたエレーモス・荒れ野であるというのです。なぜイエスは荒れ野に送り出されなければならないのかという問いに答えているのが、今日のテキストです。12節に「それから、霊はイエスを荒れ野に送り出した」とあります。「それから」は、ギリシャ語で「カイ」と言いますが、「そのために、それ故に」という意味です。意訳すると「『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者になる』という声が、天から聞こえた。そのために、霊はイエスを荒れ野に送り出した」となります。つまり、イエスは神の心に適う者になるために、荒れ野に送り出されたというのです。「わたしの心」は、「熱い思い、熱情、・passion」という意味です。ヨハネ福音書3章16節に「神は独り子を賜ったほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。ひとりの救いのために、独り子を十字架に犠牲する神の熱い思い、滅び行く者が永遠の命を得るためには、何の犠牲も辞さない神の熱情です。その神の熱情に適う者になるために荒れ野に送り出されたというのです。イエスは孤独と恐怖、試練と苦難の中で苦しんでいる一人の人を救うために、捨てられるような孤独と恐怖を経験されましたというのです。
ヘブライ人の手紙4章15節に「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」とあります。イエスが荒れ野に遣わされ、試練と苦難を受けたのは、わたしたちの弱さを負い、寄り添うためです。また、2章18節には「事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」とあります。イエスはわたしたちを勇気づけ、希望を与えるために野獣の棲む荒れ野に遣わされたのです。
使徒言行録8章に使徒フィリポがエチオピアの高官に伝道する場面があります。神はフィィリポに「ここを立って、エルサレムから下ってガザに行きなさい」と命じます。「ガザ」は「荒れ野、人から捨てられた、人が住んでいない、寂しい、試練と苦難が満ちている場所」と言う意味です。そのガザへ行きなさいと命じられた。フィリポにとっては晴天の霹靂でしたが、ガザへ行くことを受け入れました。旧約のヨナと重なりますが、ヨナは、ニネベに行きを命じられると、恐れ、嘆き、悲しみ、ニネベとは逆のタルシュシュ行きの舟に紛れ込み逃げ出しました。しかし、フィリポは、呟かず、嘆かず、失望落胆せず、勇気をもって、荒れ野のガザに向かって行きました。それは荒れ野に送り出され、誘惑を引き受けたイエスを信じているからです。イエスは恐れ、失望落胆するわたしたちを勇気づけ、希望を与えてくれます。
13節に「イエスは40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」とあります。「野獣」は人の命を狙い襲う恐ろしい獣です。しかし、イエスは野獣の群れと一緒にいることができたというのです。なぜなら、「天使たちが仕えていた」からです。「仕えていた」は「支える」という意味です。イエスは天使たちによって支えられたというのです。「40日間」の「40」は完全数ですから、「全て、一生涯」という意味で、「生涯」支えられてきたというのです。私たちも、イエスのように、荒れ野に送り出され、野獣と一緒にいて、誘惑と試練を受けなければなりません。しかし、イエスを支えた神が、わたしたちを支えてくださるというのです。ヨハネ福音書16章33節に「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」とあります。この一年何が起こるか分かりません。しかし、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」、この御言葉に支えられ歩んでいきたいと思います。