アドベント第三週の主日を迎えました。年老いたザカリアと妻エリサベトに間に、男の子が誕生し、命名する場面です。ザカリアは天使から「男の子が与えられる」と告げられますが、神の言葉を信じることができず、口が利けなくなります。しかし、神の言葉はどおり男の子が生まれました。ユダヤ人の律法に従って8日目に割礼を施し、命名することになりました。近所の人は律法に従って父親の名を取って「ザカリア」と名付けるべきだと言いますが、ザカリアとエリサベトは納得しません。ザカリアは字を書く板に、「この子の名はヨハネ」と書きました。すると、ザカリアの口が開け、舌がほどけ、神を賛美し始めたというのです。
この「口が利けなくなる」は、原文では受動態で「神によって、口が利けなくされる」となります。意訳すると、「神があなたの口を利けなくする」となります。つまり、ゼカリアの口が利けなくなったことには神の思い、意図、計画、恵みであるというのです。
当時のユダヤの信仰は因果応報で「口が利けなくなる」ことは罪に対する罰と懲らしめと教えられていました。ヨハネ福音書9章に、生まれつき目の見えない人を巡ってイエスと弟子たちが論争する場面があります。因果応報の弟子たちは生まれつき目が見えない人を見て、「この人が、生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』と尋ねます。すると、イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と答えました。イエスの言葉は因果応報ではありません。災いや苦難や不条理な病気は、罰や懲らしめではなく、神の栄光を表す目的のためであるというのです。フィリピの信徒への手紙1章29節に「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」
とあり、ローマの信徒への手紙5章2節に「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりではなく、苦難をも誇りとしています」とあります。苦難をも賜っている。不条理な苦難に意味と目的があるというのです。ルカ福音書もザカリアとエリサベトを通して、どのような苦難にも神の深い思いと意図があるというのです。
「口が利けなくなる」は、ギリシャ語で「シオーパオ-」と言い「沈黙・silent」という意味です。ザカリアは神を讃美、崇めるようになりますが、「沈黙・silent」があったからで、「沈黙・silent」がなければ神を崇め,神を讃美する彼の人生はなかったというのです。「沈黙・silent」は、辛く苦しいことですが、そこには深い意味と目的と神の祝福があるというのです。
詩編46編1,11節に「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。力を捨てよ、知れ、わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」とあります。この「力を捨てる」はヘブル語で「ラファ」と言いますが、「沈黙する」という意味です。意訳すると「沈黙せよ、知れ。ヤッハウェが真の神、究極的な信頼者、すべての創造者、すべての支配者であることを」となります。イザヤ書30章15節に「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」とあります。この「静かにする」は「沈黙する」という意味で、沈黙は無力と無駄に見えますが信仰的には大切な意味を持っています。
キェルケゴールは「沈黙は、信仰の第一条件であり、神と人間の関係の中で重要な役割を果たしている」と言います。榎本保郎先生も、「朝の15分の沈黙、静聴の時が、あなたを新しく変える」と言います。「忙しい」は「心」と「滅びる」と書くように、忙しい生活を脱却して、沈黙・神と向き合う時を持たなければならないと言われます。コリントの信徒への手紙Ⅱ4章16節に「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」とあります。沈黙と静聴は人を日々新しく造りかえると言います。
ザカリアとエリサベトは、生まれてきた子どもに、名前を付けようとしたとき、近所の人や親類は律法に従って、父親の名を付けるべきだと言います。しかし、ザカリアは、口が利けないので、板に「ヨハネ・主は恵み深い」と書きました。すると、ザカリアは舌がほどけ、口が開き、神を讃美し始めました。「神を讃美し始めた」ですが、原文は、未来完了形で継続を意味します。意訳すると、「初めも、途中も、そして、最後も、ずっと神を讃美し続けた」となります。ザカリアは神を讃美し続けて、その生涯を終えたというのです。わたしの知人は臨終の時に、起き上がり、神と教会に感謝しますと言って、神を讃えて生涯を締めくくって逝かれました。八木重吉に「どこを断ち切っても美しくあればいいなあ」という詩があります。どこを断ち切っても、初めも,途中も、最後も神に感謝をささげる生涯こそ美しい生涯であるというのです。ルカ福音書1章67節に「父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。『ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。』」とあります。ザカリアは沈黙の後、聖霊に満たされ、神をほめたたえました。沈黙の時が与えられ、聖霊に満たされる生涯をおくりたいと思います。