2019年12月1日 ルカ福音書1章18-25節「神の約束を信じる」

  • 投稿カテゴリー:全て / ルカ書

 今日からアドベントが始まります。与えられたテキストはルカ福音書1章5-25節です。ザカリアがくじを引き、聖所で祭儀を行っていた時、天使が現れ、「あなたと妻エリサベトの間に子どもが産まれる」と告げられます。ザカリアは「わたしは老人で、妻も年寄りで、子どものできるような年ではありません」と言い返しました。すると、ザカリアは口が利けなくなりました。この伝承はマルコ、マタイ福音書にはなく、ルカ福音書特有です。ザカリアの時代には、エルサレムには祭司が3万人近くいたそうです。その中からくじを引き、一人の祭司が祭儀を行うのです。三万分の一ですから滅多にあることではありません。そのくじをザカリアが引き当てたというのです。ルカ福音書は「くじを引き」の伝承を用いて、この出来事は偶然に起こったのではなく、神の選びの中で起こった神の摂理であるというのです。
ヨハネ福音書15章16節に、「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って、実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父の願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」とあります。わたしたちがキリストを選んだのではなく、キリストがわたしたちを選ばれた。神の選びと任命が信仰の原点であるというのです。「任命する」は「立てる、遣わす、生かさす、使命を与える」という意味です。神が選び、任命するのですから、選ばれた目的と使命(ミッション)はわたしたちにではなく、神にあるというのです。
旧約聖書では「ことば」は、へブル語で「ダーバール」と言い、「出来事、実現すること、起こること」という意味です。「ことば」と「出来事」は二つのことではなく、一つのことだというのです。言い換えれば、わたしたちの人生に起こる出来事には神の御旨と神の意志があるというのです。
 コヘレトの言葉3章1節に「何事にも時がある。天の下の出来事には、すべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・・。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」とあります。この「時」はヘブル語で「エート」、ギリシャ語で「カイロス」と言い、「神の御旨、神の支配」という意味です。つまり「天の下の出来事にはすべて神の御旨と支配がある」というのです。
 18節に、「そこでザカリアは天使に言った。『何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています』。天使は答えた。『わたしはガブリエル、神の前に立つ者、あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事が起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである』」とあります。ザカリアは神の言葉を信じなかったために、口が利けなくなり、話すことができなくなり、理不尽な不条理な出来事が起こりました。「口が利けなくなる」は、原文では受動態で、「神によって、口が利けなくされる」となっています。つまりその理不尽で、不条理な出来事の中に神の御旨と神の摂理があるというのです。
わたしが神学生時代お世話になった玉田敬次牧師は、16歳の時失明され、全く希望を失い、自死を考えるまで思い詰めたとそうです。しかし、玉田牧師は視覚を失うことが契機になって、神を信じることに導かれました。玉田牧師が家庭教師を探している時、当時関学の神学部の学生でした今井和登牧師に出合い、信仰へと導かれ、牧師の道が開かれました。真に不思議な神の導きです。ルカ福音書は、ザカリアが「口が利けなくされる」という試練と苦難に出遭いますが、その苦難と試練の中に神の摂理、神の御旨があるというのです。
 21節に「民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことが出来なかった。そこで人々は、彼が幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった」とあります。この「幻」は「言葉」、「見る」は「聞く、聞き従う」と意味です。意訳すると、「ザカリアは神の言葉を聞いて、神に従う者になった」となります。神はザカリアを口が利けないようにされますが、聞く力、聞いて従う力を与えたというのです。玉田敬次牧師は大事な視力を失いましたが、信仰に導かれ、牧師になる道を与えられました。神は真に不思議な御業を起こされます。フィリピの信徒への手紙3章8節に「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」とあります。わたしたちは大事なものを失いますが、それに代わりに、神は最も大事なものを与えてくださいます。ルカ福音書は、どのような出来事にも、神の御旨、計画、摂理があると言います。そのことを信じていきたいと思います。
 ヨハネ福音書13章7節に「イエスは答えて、『わたしのしていることは、今あなたには、分かるまいが、後で、分かるようになる』と言われた」とあります。「分かる」は「明確に分かる、はっきりと分かる」という意味です。どのような出来事の中にも、神の御旨、神の約束が必ずあります。それを信じて、謙遜に受け入れていきたいと思います。