ユダヤ人の一日は、日没から始まり、次の日の日没で終えます。イエスが息を引き取ったのは、金曜日の午後3時頃ですから、間もなく安息日が始まります。婦人達はイエスの遺体を引き取り、丁重に葬りたいという強い思いがありましたが、安息日の「掟・律法」のためにできませんでした。23章55節に「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と遺体の納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは安息日には掟に従って休んだ」とあります。婦人たちは、安息日律法のためイエスの遺体を埋葬できないので、悲しく辛い思いをしました。ルカ福音書6章11節には、「彼らは怒り狂って、イエスを何とかようと話し合った」とあります。イエスは安息日に手の萎えた人の病気を癒したために、律法の違反者と見なされ、ユダヤ人から殺害されそうになりました。掟・律法は罪や憎しみを生み出し、人を不自由にし、苦しめます。その意味では、イエスの復活は人を掟・律法から解放し、自由にする出来事です。コリントの信徒への手紙Ⅰ 9章16節に「わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」とあります。パウロは、人が真実に生きることは、ネバナラナイ・律法、義務からではなく、そうせずにはいられない自由と主体性から生まれるといいます。
24章1節には「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香油を持って墓に行った」とあります。この「明け方早く」は、具体的な時間を意味するのではなく、象徴的な意味をもっています。ヨハネ福音書13章30節には「ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。時は夜であった」とあります。つまり、「復活」は「夜」ではなく、「夜明け早く、暁き」の出来事であるというのです。「夜明け」は、ギリシャ語で「バセオース・起きる、破る」と言い、「出来事が起きる、暗闇を破る」という意味です。イエスの復活は、一段と暗い闇夜が明ける夜明けの出来事、つまり、どんなにくらい闇夜でも明けない夜はないと言う言葉のように、永遠の希望を伝える出来事であるというのです。
5節に「婦人たちが地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。』」とあります。平衡記事のマルコ福音書は「十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが・・・」となっています。この「生きておられる方を死者の中に捜すのか」の「生きている方」はギリシャ語で「ゾンタ」といい、その語源は「ゾーエ-」で、「心臓が止まっても終わることのない命、永遠の命」を意味します。つまり、イエスは十字架では終わらない命、永遠の命に生きる方であることを強調しています。イエスは犯罪人と一緒に十字架につけられ、丁重な葬りも行われず、犯罪人と同じ墓に納められました。イエスの遺体を引き取る者は誰もいませんでした。これほど惨めな最期はありません。人間的に見れば敗北、全てが終わりに見えます。しかし、ルカ福音書は、イエスの命は終わらない、ゾーエー・永遠の命に生きているというのです。
24章6節「あの方は、ここにおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」とあります。この「復活なさった」は、「エゲロー・起き上がる、立ち上がる」です。平衡記事のマルコ福音書の「あの方は復活なさった」の「復活なさった」は、「アニスティミー」です。ルカ福音書は「アニスティミ-」ではなく、「エゲロー・起き上がる、苦難や死から立ち上がる」を意識的に用いています。意訳すると、「イエスはここにはおられない。床から起きあがるように死と苦難から立ち上がり、解放された」となります。イエスの復活は苦難と死の解放と勝利を意味するというのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ15章54節「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか』。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜わる神に、感謝しよう」とあります。イエスの復活は死と苦難に打ち勝つ勝利であるといいます。ローマの信徒への手紙8章35節には、「誰が、何が、わたしたちをキリストの愛から引き離すことができましょう。患難か。苦難か。迫害か。危険か。剣か。これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」とあります。エゲローの復活は、何事に出遭っても、立ち上がらせ、勝利に与らせる力、希望を意味します。
24章10節に「婦人たちは、これらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話が、たわ言のように思われたので信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った」とあります。この「立ち上がる」も「エゲロー」です。ペトロはイエスを否定し裏切り、罪を犯しました。その罪深いペトロを赦し立ち上がらせる力、それが復活です。イエスの復活はペトロを立ち上がらせ、新しく生まれ変わらせ、前に向かって進ませる神の力です。主イエスは、わたしたちがどのようなことに出遭っても、どのような境遇に置かれても、立ち上がれるために死から復活なさってくださったのです。