今日のテキストは、ユダ族の将軍カレブがデビルという町を占領した物語です。カレブは難攻不落な要塞であるデビルの町を攻略できず、窮地に立たされていました。16節に「カレブは、キルヤト・セフェル(デビル)を撃って占領した者に娘アクサを妻として与える」とありますように、デビルを攻略できた者に報償として娘アクサを与えると約束しました。その時、オトニエルという人物がデビル攻略に挑みました。彼は勇敢な兵士でデビルの町を攻略し、占領しました。カレブは約束通り娘アクサをオトニエルに妻として与えました。当時は、娘が結婚する際、父親は贈り物をする習慣がありました。カレブはアクサに「お前は何も望むのか」と尋ねました。アクサはオトニエルから「畑を譲ってもらうように」と勧められていましたが、畑を求めず、「泉」を求めたというのです。19節に「彼女は答えて言った、『わたしに贈り物をください。あなたはネゲブの地に、わたしをやられるのですから、泉をもください』。カレブは彼女に上の泉と下の泉とを与えた」とあります(口語訳)。カレブはアクサの「泉」を求めたことが実に理にかなったこと、人生の真理を理解していると大いに喜んだというのです。
この事実は何を意味しているのでしょうか。オトニエルが求めた「畑」は、麦を収穫し、野菜も果物も取れます。畑は目に見える収穫を与えます。「泉」は地下に水源を持ち、水を湧き出させます。「畑」は目に見える現実的、実際的ものを意味し、「泉」は、目に見えない、より根源的なものを象徴します。つまり、アクサは目に見えない、根源的なものを求めたというのです。コリントの信徒への手紙Ⅱ4章18節に「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」とあります。カレブはアクサの見えるものではなく、見えないものを大事にする生き方を讃えたというのです。
ある先生は「日本のキリスト教は実際的な、現実的要求に答えていない。そこに衰退の要因があるのではないか。私たちの信じる神は、罪を赦し、永遠の命を与えるというだけでなく、目の前にある社会的、政治的問題に答えなければならない」と言っていました。しかし、今日のテキストは現実的な実際的な問題にとらわれないで、本質的な問題を重要視しなければならないというのです。イスラエルの民はひたすら見える現実的なものを追い求めたため、霊的な、信仰的な恵みを見失い、衰退しました。今日のテキストはより根源的なもの、究極的なものに目を向け、優先しなければならないというのです。
宗教改革者カルヴァンは「キリストは一つのことを除いて、他は重要ではないと言うのではない。二義的、副次的な事柄が主要な関心にならないように、事柄の順序を守らなければならないと」と言っています。ルカ福音書10章41節に「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とあります。「思い悩む」は「分裂する、分かれる」という意味で、心が分裂し、バラバラに分かれてしまうことを意味します。何が一番大切であるか、物事の優先順序を決めらず、、どうでもよいことにこだわり、迷い、疑い、思い悩むことを意味します。「必要なことはただ一つ」は、口語訳では「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」と訳されています。イエスは無くてならぬ、ただ一つことは何か、最も究極的なものは何かを問い直さなければならないというのです。
カレブの娘アクサは、「お祝いをください。わたしにネゲブの地をくださるなら、泉も添えてください。」とカレブに言いました。ネゲブはユダの南部地方に位置し、乾燥した不毛の地でありました。アクサはネゲブに行くことを恐れ思い煩いました。しかし、彼女は泉を求めることによって、不毛の地ネゲブに出て行くことができました。不毛の地であろうとも、泉があるならば、恐れる必要はないというのです。詩編56編4節に「恐れをいだくとき、わたしはあなたに依り頼みます。神に依り頼めばおそれ恐れはありません。肉にすぎない者が、わたしに何をなしえましょう」とあります。アクサの置かれている境遇がいかようであろうと、それが決定的な問題ではありません。問題は、神がそこに泉を備えてくださることを信じて、泉を求めていくことです。本質的なことは、アクサが畑を潤す泉を求めたように、究極的なことを求めていくことです。
詩編118編5節に「苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放された。主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間に頼らず、主を避けどころとしよう。君侯に頼らず、主を避けどころとしよう」とあります。全ての造り主、支配者である神を信じ受け入れ従っていきましょう。フィリピの信徒への手紙4章12節に「わたしは貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」とあります。私たちの明日は何事が起こるか分かりません。しかし、どこに行こうとも、どこに置かれよと、わたしを強めてくださる見えない神が共にいてくださいます。その事実を信じて、力強く歩んで行きましょう。